トランプは何を言ってサポータを扇動し議会を選挙したのか。

「後ろ手にしばられようとも、共和党は常に戦ってきた。ボクサーのように戦ってきた。そして我々は紳士であろうとした。我々は常に相手を尊敬してやってきた、たとえ悪い人間が相手であってものだ。そして、今その戦いを強めるときが来た。われわれはもっと強くならなければいけない。」

「われわれはこれから議事堂まで歩いて行く。われらの勇敢な、上院議員、下院議員、婦人を応援するのだ。もちろんその中には、それほど応援に値しない人もいる。弱くては、この国を取り戻すことはできない。力をみせてやれ。そしてもっと強くなれ。」

「詐欺犯を捕まえたときは、いつもと違うルールで裁くことが許される。だから、わたしはマイクが、彼が今やらなければいけないこと、それをやり通す勇気をもっていると願っている。彼が、RINO(名前だけの共和党員)や愚か者にはみみを貸さないこと願っている。」

「マイクが正しいことをすると願っている。ほんとうに、願っている。なぜか。彼が正しいことを行えば、われわれは占拠に勝つことができるからだ。実際、わたしはマイクにこう言った。マイク、勇気なんかいらない、選挙を承認しない、ただそれだけが、勇気の証だ。それが勇気だ。」

「さあ、われわれの民主主義におこった、おびただしい数の攻撃、これに耐え抜くには、議会の力にかかっている。だからこのあと、我々は議会に歩いて行く。わたしもいっしょだ。そして議会に行って、トライする、授けるのだ。もはや民主党は救いようが無い。やつらは何も決めることができない。たった一度投票もできやしない。だがわれわれはトライする。そうして共和党員には授けてやろう。もちろん弱い共和党員だけに授ける。強い共和党員はわれわれの助けが無くても、やり遂げることができるからだ。さあ、歩こう。いってトライし、そして授けるのだ、われわれが、この国を取り戻すのに必要な、誇りと大胆さを。」

フィリップ・マーローの時間

意識があるかぎり時間は連続していて途切れることがない。睡眠や気を失ったときに句読点がはいるだけである。チャンドラーは、長編を七つ書いたが、五つ目までは、厳格なまでにこのような時間の扱いをした。主人公は、何かの探偵の依頼をうけ、問題に巻き込まれ、それを解決して、次の依頼を待つ元の生活に戻っていく、これらの詳説の中に流れる時間は、一度も途切れなかった。

だから、というわけではないが、小説の始まりから終わりまで、あれだけのプロットを詰め込んであるのにもかかわらす、二日か三日しか経過していないことがほとんどで、本自体を例えば一週間かけて読了すると、気持ちの上で微妙な違和感が生ずる。小説のなかでは、連続して起きた時間が、読み終わった後に回想してみると、それらが何日か距てているようような気がしてくるのだ。

それ自体はべつにこちらの記憶の都合の話なので取り立てるほどのことでもないが、困ってしまうのは小説の「場」の連続性だ。ふたつの事件が続けて起きると、その事件の当日の、天気、場所、登場人物、衣装、小道具は、最初の事件で語られて、次の事件ではその説明がない。ところが記憶のなかで、この二つの事件を別個に思い出してしまうと、二つ目の事件の場が無くなってしまうのだ。

チャンドラーは、The Long Good-byeを書いたとき、プロットの描写を、この記憶の時間に近い、時間の流れで扱った。相変わらずすべてのプロットは、時間通りに流れているところには変わりはないが、プロットとプロットの合間に、「一週間がたった」とか「LAは雨期に入った」などの句読点が入り、プロットのごとに場の説明が、(非常に細かく)おこなわれるようになった。結果としてポストプロダクションで編集を入念におこなった映画のような大傑作になった。

コルトレーン最初のレコード

ジョン・コルトレーンは、終戦の一週間前に海兵として徴兵された。その当時は米国にもまだアパルトヘイトが残っていたので、キッチン係とかそのような仕事に従事するしかなかったという。それでもアメリカのあちこちの基地で、海兵としての基本の教育をうけて、戦争が終わって三ヶ月もたった頃、ハワイに配属された。一応シーマンという階級だったらしい。

コルトレーンは、ここで黒人のキャンプで軍の仕事を始めながら、メロディーマスターというビッグバンドに加入する。このバンド、もとはノースキャロライナから来たバンドらしいので、同州出身の彼は名前くらいは知っていたかもしれない。バンドそのものは、スイングバンドで、ビバップに夢中だった彼には物足りなかっただろうが、とにかく音楽ができる喜びのほうが勝ったのだと思う。

その証拠に、バンドの最後のコンサートを伝えたローカル紙が、このバンドがいかに素晴らしくスイングしていたかを賞賛するとともに、このバンドを名実ともに引っ張ってきたのが、まぎれもなくコルトレーンだったことを、名前付きで紹介している。ずば抜けた集中力というはこの人の持ち味であったそうなので、それがリーダシップとして結実したのであろう。

彼はこのあとすぐに除隊になり、この年の夏に家族のいるフィラデルフィアに帰ることになるが、その途中に仲間と行ったセッションのレコードが残っている。このレコード、商業的なものではなく、テープレコードのない当時、地元のラジオ局などの施設で、プライベートレコードを録音するというサービスをつかったものだ。この演奏を聞くと、この頃の彼がいかにパーカーに夢中だかがわかる。

アメリカの工業製品 - 新興住宅

このあたりは昔、一面ジャガイモ畑だったそうで、それが第一次大戦後の開発ブームで、一気に住宅地に変えられた。広大なジャガイモ畑は、ブルトーザーでならされ、ますそこにおびただしい数の道が穿たれた。その開墾があちこちで同時に行われたため、見渡す限り巨大な土煙の山がいくつも立ち上がったという。

そうしてできあがったのは、まさに新興住宅地というのにふさわしく、道路をはさんで、芝生の前庭のうしろに、同じ間取りの同じ大きさの家が、まるで遠近法の構図のように延々とつらなり、その奥行きと広さは、まさにアメリカ合衆国の近代化の象徴という感じがする。

郊外に家を持ち、車でオフィスに通うと言うライフスタイルがこの時代に確立したというのは、今考えても驚きというしかないが、その文化のニューウエーブが、ゼネラルモータズの車に、GEの家電、ファイヤーキングの食器といった、アメリカ工業製品の大傑作をいくつも生み出した。

今このあたりは、史上何回目かの、建築ブームに蹂躙されている。コロナのせいで、人との接触を嫌った都市の住人が、離島や山奥にいかなくても、隔離された生活を確保できるこの地区に集まってきている。それでこのあたりの住宅税は全米第2位になったそうである。

議事堂が占拠された!

仕事をしていたら、ニュースアプリから通知がきた。議事堂が占拠されたという。あらましはこうだ。議事堂は今新大統領を承認する「セレモニー」の真っ最中。予想通りの賛成反対の激しい議論がありつつも、反対派の副大統領は、しぶしぶながらも法に従い新大統領承認することで式を終える予定だった。

一方で、議会のすぐ裏の広場では、大統領サポーターの大規模な集会があり、その特設ステージにたった大統領は、いつも通り「われわれの選挙は盗まれた」と扇動すると、興奮したサポータは、議事堂になだれ込み、セキュリティを突破して、議事堂を占拠、バルコニーには大統領を掲げ、議長席の占領にいたる。

これはひどいと、あわてた共和党ナンバーワン議員は大統領に電話、あんたの扇動でこんなことになったのだから、せめて彼らの行動をいさめるビデオメッセージをだしくれて懇願した。するとそれをうけて、大統領は「われわれの選挙はぬすまれた。しかし今日は家に帰ってくれ。きみたちの気持ちはよくわかる」。このメッセージは、さらなら暴動をあおるものだと、Twitterではすぐに警告処分。

そしてついに連邦警察とFBIが出動した今、これがどのように終わるのかはまったくもって不透明だ。なかには25条を発動して、ただちに大統領を弾劾すべきだという意見もあるが、まだ騒動だし、任期切れをせまっているのだから、それも無いと思われる。それよりも共和党の連中は、これまで徒党を組んで大統領に付き合ってきたが、たった今、本来なら共和党の地盤であるジョージア州で、上院2席を落とし完敗した。そろそろ頭を冷やした方が良いのではないだろうか。

2021年1月5日、ニューヨークの郊外にて

今日は不思議と朝日のきれいな日で、まだ薄暗い中を散歩したとき、空にはすでに紫がかった雲が波のように漂い、それが露地を曲がる毎に、雲の縁に陽光が輝き始め、あるときは葉の落ちた街路樹の天をつく鋭い小枝のかなたに、あるときは白亜の屋根越しに、その光を強めながら、やがてその反映が地表を赤く染めていく様子は、とても気持ちの良いものだった。

そんな時間の経過の中で、天と地が一様に、たとえは悪いがこの世の終わりのようなそんな色彩でみたされてときには、一体どうなると思ったが、太陽が昇ってしまうと、結局いつもの平凡な朝の景色にもどってしまって、まるで狐につままれたような気がした。色彩の緊張のあとに、まるで幕をあけたように弛緩が訪れて、その境目がわからなかった。

ここはニューヨークのプレンビュー、ロングアイランドの真ん中にある。マンハッタンまでは、道路が空いていれば車で40分、混んでいれば2時間半の位置にある。細長い島なので、マンハッタンに入るには、三本の高速道路で、四本の橋か一本のトンネルのどれかを選ばなければならない。どれもが飽和しているから、畢竟鉄道をつかうことになる。ここにある駅は沿線で2番目に大きい。

変な疫病がはやったおかげで、マンハッタンの評判は地に落ち、金回りのいい白人から、脱出がはじまったせいで、都市の景観はまったくすさんだものに変わってしまった。一部の地区では、昔の、悪臭のする、街路のシャッターが閉じ、そこには暴力的な落書きがされている、そんな危険な街にかわってしまった。すくなくても、わたしにはそこへ行く用事はない、2021年の1月5日の朝、そんな幸せに感謝した。

まったくやりきれない(ジョージア州やり直し選挙)

願を立ててから三日目ですでに書くことが無いというのは、いささか早過ぎはしないかと思われるのだが、実際にそのような気持ちになってしまっているので仕方が無い。世に言うブロガーという人はつくづく偉い者だなと思うのである。

しかし、偉い人がいれば、偉くない人もいるのが世の中で、今日の時点で偉くない人の代表といえば、米国の共和党の議員さんであろう。後2週間で自分は負け犬としてホワイトハウスを出なければいけないという事実にたいし、生まれてから一度たりとも忍耐することを教わってこなかった欠陥人物が錯乱するのはわかる。だからといって、保守派として立派な教育をうけた人たちが、その「駄々っ子のわがまま」につきあうこともあるまい。

しかも自分たちの権力の配下にいる碩学の法律家を集めて、自分たちが議員になるための基板となる選挙制度を、叩き、曲解し、詭弁で息の根をとめようとしている。思い出して頂きたい。大統領を否定した選挙は、あなたがたを議員にしてくれた選挙でもあるのだ。それを否定したら、次にあなたが選ばれたとき、選ばれなかった人が、全く同じ事をしかけてくる。その仕掛けが巧妙であればあるほど、あなたはこっぴどくやられるだろう。

ワールドカップが日韓でおこなわれたときに、私たちはずいぶん不思議なゴールを韓国で見たけども、それと同じ事が米国の政治の表舞台でおこなわれている。その不思議の先頭で、大統領にビュンビュン尻尾を振っている第一人者は、テキサス州共和党上院議員だが、この人は2016年の大統領選に立候補したとき、現大統領から予備選の最中に、「うそつき」と罵られ、奥さんの身体的特徴まで揶揄されたのではなかったか。この国に紳士はいるのだろうか?