優しさについての考察

この歳になると、世の中のごたごた、特に不愉快なことなど沢山経験して、それなりに分別がつき、若い頃よりも用心深くなるものである。その人生を通しての観察のなかで、意外なコペルニクス的転回があったものに、「優しさ」についての知見がある。

いろいろな老人を狙った詐欺は言うにおよばず、演歌や私小説の世界でも、優しさは悲劇の導入部になることが多い。要は過度の 優しさは、対人関係の中で相手にスキを与え、それにつけ込まれる被害を誘発する。そして被害者たちの優しさは、結局「だまされる方が悪い」と諭される。

そういうことが頻繁にあることは確かに事実だが、だがしかし、周りを静かにじっくりと眺めてみると、日本でもアメリカでも、都会でも田舎でも、優しい人の方が幸せになっていることのほうが圧倒的に多いように見える。これは一体どういうことなのだろう。

その理由は明確で、つまり人に優しい人は、人にも優しくされる、その優しさの量が多ければ、受け取る優しさの量も多い、だから幸せなのだ。一方は優しくない人は誰にも優しくされないので、彩りが乏しい寂しい人生になる。これは物理学の作用反作用の法則と同じで、結局すべての事象は均衡の方向に進むのだ。