コルトレーン最初のレコード

ジョン・コルトレーンは、終戦の一週間前に海兵として徴兵された。その当時は米国にもまだアパルトヘイトが残っていたので、キッチン係とかそのような仕事に従事するしかなかったという。それでもアメリカのあちこちの基地で、海兵としての基本の教育をうけて、戦争が終わって三ヶ月もたった頃、ハワイに配属された。一応シーマンという階級だったらしい。

コルトレーンは、ここで黒人のキャンプで軍の仕事を始めながら、メロディーマスターというビッグバンドに加入する。このバンド、もとはノースキャロライナから来たバンドらしいので、同州出身の彼は名前くらいは知っていたかもしれない。バンドそのものは、スイングバンドで、ビバップに夢中だった彼には物足りなかっただろうが、とにかく音楽ができる喜びのほうが勝ったのだと思う。

その証拠に、バンドの最後のコンサートを伝えたローカル紙が、このバンドがいかに素晴らしくスイングしていたかを賞賛するとともに、このバンドを名実ともに引っ張ってきたのが、まぎれもなくコルトレーンだったことを、名前付きで紹介している。ずば抜けた集中力というはこの人の持ち味であったそうなので、それがリーダシップとして結実したのであろう。

彼はこのあとすぐに除隊になり、この年の夏に家族のいるフィラデルフィアに帰ることになるが、その途中に仲間と行ったセッションのレコードが残っている。このレコード、商業的なものではなく、テープレコードのない当時、地元のラジオ局などの施設で、プライベートレコードを録音するというサービスをつかったものだ。この演奏を聞くと、この頃の彼がいかにパーカーに夢中だかがわかる。