ブログについての自己規約

何につけ書くということもひとつの行動であり、その行動を続けていくためには、日々の練習が必要になってくる。何かを伝えるために書こうとすると、その伝える何かを探さなければいけないが、それが毎日となるといささかしんどいのだ。そこで心理学でいうところの「ジャーナル」という手法をつかって、伝えることが何もなくても決めた時間だけひたすら書き続けると言う手法が利用をりようしてみる。書くことを、書くことの目標とするのである。

上手な文章を読んでいると、読むと言うよりは聞くという感じに近い物が多い。実際に口述筆記で書くという人もいるらしいが、喋るように書くというのは今までずっと目標にしてはきたが、一度もそれをやれた試しがない。少年時代に芥川龍之介に夢中になったとき、彼の、まるで石に刻みつけるように書いた彫琢を極めた文章を最上の物とするという信仰が、いつしか自分の心に染みついてしまったからかもしれない。だから文章を書くのが非常に億劫なのだ。

たとえ自己満足に過ぎないとしても、いい物を作るために楽しみを捨てても良いという考えは、よくよく僕たちの世代の日本人の気分にあうものであるが、それが実はすべてをだめにしているという事実もある。ようは「えーかっこしい」による堕落であるが、気の利いた文章をつかおうと、古今の名著を引用するなどもってのほかで、それは文章をよくするためでなく、その文章を書いている人間をよく見せようとするとても卑屈な根性で、人がやっているのを読むと、書き手のどや顔がみえるようで、以上に胸くそ悪し。

というわけで、まずはともあれ、喋るように書くように努力すること注力することにする。それはキーボードを叩く指に喋らせるという新しい試みで、脳から声帯に通じている神経を、指先につなげ直す訓練だ。そのようなことが、できるかどうかわからないが、もしできるようになったら、おしゃべり好きの自分にしてみれば、これほど楽しいことはない。まずはやってみることだ。